私が日立を3年でやめた理由について書きます。日立のIT事業やSIerに就職を考えている人にとって参考になれば幸いです。
SI業界のSEって楽しくなかった
入る前はIT業界って聞くととても楽しいもので、新しい技術に常に触れることができてエキサイティングな仕事だと思っていました。学生時代にアルゴリズムを考え、試行錯誤したり新しい技術が発表されたら調べて、自分なりに触れてみたりしたことが楽しかった。そういった事が仕事の中で行えるものだと思っていました。ITベンチャー企業に期待しているほどではないが、コーディングをする機会があるだろうと思っていました。
実際働いてみたところ、まったくエキサイティングではなく、プログラムはたまに簡単なスクリプトを書くレベルでした。実際の仕事はPJで必要なヒト(下請さん)・モノのの発注、管理、社内、社内打ち合わせ、顧客との定例、たまにIoTやらビッグデータ、ベンダー主催のセミナーや勉強会に行くような感じでした。会社の中にも新しい技術に興味のある人が本当に少なかったです。さういうITに期待していた刺激が少なかったです。
IoTやらビッグデータなどいかにも最新ITという感じの催しに行くことはあっても、実際に自分がそういう仕事をするわけではありません。(そういう部署であれば、もう少し楽しかったのかもしれません)残業時間は平均的にはそうでもありませんでしたが、とにかく”時間を消費”しているように感じ、強く疲弊しました。
入ってから気づいたのはSIerのメインはどれだけAIやIotなど旬なワードを並べても、SI、つまりインフラIT事業です。インフラITではNWやDB、いまではクラウド(AWS等)連携、そういった知識を浅く広く求められるが、詳細な部分は各業者に問合せするだけです。自分が手を動かして試行錯誤し考えるような仕事はありません。あくまでの浅く広い知識を使って、システム構成を考える、客に説明する、答えられない部分は問合せに送る。またそうしたシステムって動いて当たり前だと思われている節があり、感謝される事はほとんどありません。確かにそういうインフラ系のITの仕事をする人が必要なのは理解できるけど、自分がやりたい仕事ではないなと思うようになりました。
多重下請け構造、ITゼネコン構造が嫌になった
上でも少し書きましたが、SI業界ではNTTデータを筆頭に大手SIベンダーがプライム(1次受け)となって、そこから規模の小さい会社に仕事を分割して流し、プライムから仕事をもらった2次受けはさらにその下に、その下はさらにその下へと仕事を流していく中抜き構造になっています。
じゃあどうしてこういう多重下請け構造になっているか?について簡単に説明します。
会社視点で考えます。例えば某省庁の基幹システム等の大規模案件を受けて失敗したときにリカバリーするだけの体力(キャッシュ、人的リソース)のある会社がプライムとなる必要があります。一般的に規模が大きければ大きいほど、リカバリーする際に必要な体力は大きくなります。なので小さい会社がプライムになって受けてうまくいけばいいですが、炎上した際には責任が取れないです。炎上した際に責任を取ってリカバリーするために大企業がプライムとなって仕事を振り分けて行くのです、この点が下請け側の会社からみたメリットです。プライム側からすれば、常に仕事があればいいですが、仕事が少ない時もあるのでそういう場合に人件費(下請けに任せる量)を調整することができます。
労働者視点で考えると、下請け側の労働者であるほど、仕事の責任が少なく、仕事を変えてもらえやすいという点がメリットで、そのかわりプライムのほうが給料はいいところが多いです。
私が嫌になった理由は以下です。私はいわゆるプライム側の立場だったので、自分よりも断然できる人や、全然できないが一回り以上年齢の違う人に対して指示を出し、PJ管理する立場でした。就職するまで40以上の人に対して自分が支持を出す姿を全く考えたことがありませんでした。私のコミュニケーションスキル不足もありますが、言いたいことが伝わらない事も多く、あからさまに嫌な顔はされる事も多かったです。人によってはまた同じ職場で働いていても給与が全く違うんです。当時私が年収500万程だった頃、5歳年上の下請けの方は300万もないと言っていました。同じ仕事とは言いませんが、会社が違うだけでこんなにも違うのかと、もらっていた立場ですが、私にそんな価値はないと罪悪感のようなものを感じました。そんなこんなでこの業界の多重下請け構造が嫌になりました。
独特な文化がある
日立には新卒で入社し研修を終えた後、研修員論文というイベントがあります。通称”研論”です。とりあえず、一人前の平社員になるため、それまでの業務について学んだことを書く卒論みたいなものを書きます、書いたらそれを発表します。配属部署にによって異なりますが2年目でこのイベントを体験する人が多いです。これは指導する先輩や課長、部長にあたりはずれ(所謂、部署ガチャ)が大きく、新卒入社組では最初の出社拒否や部署異動が発生する時期です。
私は先輩も論理的ではなく、先輩の指摘は全く当てにならずつらいものがありました。部署によっては定期的に課長や部長が定期的に見てくれる部署も多いのですが、私の場合は明らかにギリギリまでみてくれず放任、先輩も当てにならない、ハズレガチャでした。結局休日も出て、期限ぎりぎり、発表当日まで徹夜で資料を直していて発表練習する時間なども十分にありませんでした。こんな状態で他の同期と一緒に評価されるわけです。不公平感というか、理不尽感を感じざるを得ませんでした。
あとから聞いた話ですが、代々このような文化だったようです。
「うちの会社はクビにならないから(いいよね)」
これは当時の先輩社員がこぼした言葉です。こんな意識で仕事をしている人がそばにいえるだけで仕事のモチベは本当に下がりました。NECだって、東芝だって、SHARP等大企業が傾く例はあったのによくいえるなと。何より数年前に製造業最大の大赤字を出してるのに。もちろんその人は推奨されている資格関連の取り組みもなく知識レベルは後輩の私以下でした。なによりクビにならなくても子会社出向(左遷)はいくらでもあるのに。こんな感覚の人と一緒に仕事されるのは許せませんでした。
日立で働いてるものです
たまたまこのブログが目に止まったため質問させていただきたく。笑
転職後はいかがでしょうか?
大企業の看板を無くすことや安定の地位から抜けることに不安などあったでしょうが、いまも感じますか?
私自身退職を悩んでいるのでまだ若いこともあり転職するべきかなやんでいます。
長らく更新してなく、確認が遅くなりました。
転職にあたってそういう不安はもちろんありましたが、現在も後悔しておりません。
その地位や日系大企業の安定をもってしても、そとに行きたい気持ちがおさまらないなら転職すべきだと思います。
そのままずっと働くのは苦痛だと思います。
ゆるくでも転職活動されてみてはどうでしょうか?LinkedInやOpenworkで軽くするのがおすすめです。
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