日立に入社した時のこと

入社当時のことを思い出してみる。

 2015年当時、日立製作所といえば理系就職人気ランキングでも上位にランクインし、2017年の理系就職人気企業ランキングで1位になるようなそこそこの人気がある企業だったし、2018年現在も人気のある企業だと思う。ホワイトなイメージ、平均給与も900万円近く、安定のイメージが強い会社でした。特に電気・機械・情報系の学生にはもかなりの人気がある企業でした。
参考記事:https://job.career-tasu.jp/2017/guide/study/ranking/3_3.html

私は某旧帝で情報系の理系院生として就職活動をしていました。
日立以外の企業では、BCG、デロイト、日系大手金融、楽天、リクルート、NRI、NTTデータ、NTTドコモ、KDDI,NTT、JR東海、総務省、P&G、サントリーなどに興味を持ち、理系院生の中では比較的珍しくいろいろ受けていました。

その中で縁があった中から、

1.専攻していた情報(IT)知識(ネットワークやプログラミング)が活きる仕事ができる会社

2.世の中を変えること、便利にしていくことができる会社

3.様々なPJに携われるチャンスがある会社(日立は事業範囲が幅広くIT関連事業以外にも原発、鉄道、家電、などがある)

4.そこそこの知名度と信頼感(ブランド)、そこそこ給与がある会社

上記の1~4を満たす会社を考え、日立製作所へ入社することを決めました。

内定後は、親・親戚をはじめゼミの教授、ゼミの動機や後輩、バイト先の後輩、地元の友達、ちょっとした知り合いまで口をそろえて、「本当によく頑張ったね」「凄くいい会社だね」「人生安定だね」「日本を代表する会社だね」などと、お世辞にしても凄く気持ちいい言葉ばかりをかけてもらえた。そんなにすごい会社なのかと、いい気になった。今思い返してもこの時ほど承認欲求が満たされた時はない。

 当時の私は、なんとなく憧れていた日立製作所に内定したことで、”人生のコマを着実に進めているような”達成感があった。中学、高校からの受験勉強、大学進学、そして就活、と各フェーズで確実に”勝者”側で来たと思っていた。

 いまでもそれに間違いはないと思っている。ただ今思うのは、就活することは”しかれたレールの上を与えられた目標に対して進めばよかったフェーズ”から”自分で判断して目的を定めて進むフェーズ”に変わったことを理解していなかったこと、それが問題だったんだと思う。

 社会人になったら自分は何をしたいのか、どんな仕事をしてどんな生活がしたいのか、社会人になった時の目標を考えて、これらをより吟味して会社を選ぶべきだったと思う。吟味した結果、また同じ会社を選ぶかもしれないが、内定の中から会社を選ぶ際、私は周囲の圧力に近い称賛に流されたしまった部分があったと思う。今思えば、社会を変えるだとか、ブランド力があるだとかいうことは私が働くうえでそれほど大事ではなく、仕事が楽しくてお金がもらえる仕事がしたかったんだと思う。就活をして、面接をしていく中で優先度の高い軸である「本音」と優先度の低い動機である「建て前」がごちゃごちゃになってしまっていたのかもしれない。

 当時の私は人生が順風満帆に進んでいると思っていて、今思えばかなり恥ずかしいけれど、かなり驕りがあったと思う。まさか2年後には退職を考え始め、3年後にやめるとは毛頭思ってもいませんでした。

入社後は半年間ほど研修期間がありました。
”学校の延長線上でお金がもらえる”研修があり、毎日のように同期と遊んで、週末には飲み会に参加したりして同期との出会いなど環境の変化があり楽しかったのか、あっという間に過ぎ去りました。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

新卒で日立製作所に入社。 3年勤めた後、自分の思い描くキャリアが描けないと判断し退職。 現在は都内の民間企業でIT系エンジニアとして働く。